ここ五年ほどの聞に、折にふれてものした講演や雑文が、東峰書房の好意によって小冊子にまとめられた。
旧稿を集めてみて気付いたのは、ほとんどすべてが古人の足跡を追いかけ、その膝下に推参しているという事であった。社会や政治の内部構造を精密に分析することが現代歴史学の主流とすれば、ひたすら人間に執するのはアマチュアぷりと自認するほかはないけれども、老来はや左顧右閉する余地もなくなっている。われには許せ敷島の道。さいわいにそれを許容される読者の一柴を得られれば、望外の事といわねばならない。
西行・後鳥羽院をはじめ、はるかに遠い世の「古人」たちを存問した本に、「今人」と申すべき芸林諸家に関する短章を収めたのは、木に竹を接いだように見えるかも知れない。しかし、私が諸家の知遇を得たのは古人を仲立ちとしてのことで、つまりこれらの今人は古人への存聞の先達なのである。私にとっては諸家の深い恩頼がいかに天与の滋養であったことか、あらためて感銘を深くする。今人への存聞を一本に併せ収めた所以である。
長い年月、独自の本造りで愛書家の定評を得てきた東峰書房を継承して、こつこつ苦労している高橋衛氏のために、この本が荷厄介にならぬよう願うばかりである。
昭和丙寅首夏
目崎徳衛